久留米成田山・・・久留米市上津町1386
交通アクセス:西鉄バス上津町下車
徒歩3分
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| 正面の階段は大理石で作られている | 正月三が日は初詣の参拝客で大混雑である。 | 慈母観音像、左はインド平和大仏塔 |
| 久留米成田山 | 久留米成田山は昭和33年に身代わり不動尊で知られている、千葉県成田市の新勝寺から御分霊を勧請した直系分院です。 本尊は不動明王で、交通安全。開運厄除・商売繁盛・家内安全・諸願成就で知られています。 |
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| インド村 平和大仏塔極楽殿 |
高さが38メートルの平和大仏塔極楽殿はインド・ブツダガヤ大仏塔と同型のもので日本唯一、世界でも二基目だそうです。 お釈迦様成道のお姿をおまつりしてあります。 |
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| 慈母観音像 | 世界の母、慈母大観音様は高さ62メートル日本一の仏像であり、螺旋階段で肩の付近まで上れます。その間、展望孔からは 雲仙まで見れます。白豪には直経30センチの純金の板に、3カラットのダイヤモンドが18個ついてます。 夜間には照明灯により美しく浮かび上がった観音様を見ることが出来ます。 |
久留米城址・・・福岡県久留米市篠山町 JR鹿児島本線久留米駅からバス久留米大付属病院前下車
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| 久留米城 本丸跡石碑 | 久留米城址 入口・・・登ると有馬記念館がある | 鳥 居 |
| 久留米城址・・・・ | 戦国時代より土豪・豪族の間に、この古城を巡って興亡の歴史を綴りながら、元和七年(1621)有馬豊氏丹波福知山より転封入城し、以後 | |
| 廃藩に至るまで11代250余年の間、有馬家累代の居城として藩府が置かれていました。 | ||
| 本城は北西に筑後川を自然の濠とし、天恵の地勢を活用したすこぶる険要の地にあります。築城法は平田多聞造りで、高い白土の城壁に | ||
| そびえたつ二層と三層の七つの櫓があり、本丸東南隅の三層建の巽櫓は壮大な偉容を鉾っていました。 | ||
| 現在は石垣だけが残り、城内には有馬三氏を祀る篠山神社や、有馬家資料を展示する有馬記念館があります。春は花見、六月はしょうぶ | ||
| 八月二十五日には鈴虫祭と、市民の憩いの場となっています。 |
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| 篠山神社 | 篠山神社・・・・有馬三氏を祀る | 遺構の一つ・・・井戸 |
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| 本丸城跡の見事な石垣 | 久留米城は別名「篠山城」である | 高い石垣は21万石の有馬氏の偉容を誇る |
水天宮
| 当宮は古来農業、漁業、航海業者間に信仰が篤いのみならず、子供の守護神、安産の神として或いは病難、火災などの |
| 除災招福の御霊験高きを以て聞こえる全国水天宮の総本宮である。 |
| 鎮座地 | 久留米市瀬ノ下町 | |
| 交通 | 鹿児島本線 JR久留米駅より徒歩750m | |
| 御祭神 | 天之御中主神 安徳天皇 | |
| 建礼門院 二位の尼 |
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| 水天宮正面鳥居 | 本堂 |
| 春大祭 | 5/5 潮井行事 しおいぎょうじ |
鎮座地瀬下町六ヶ町の青年達が揃いハッピ姿で筑後川の清流に禊祓いを行い、筑後川から潮井を汲み 御神前に修抜を受け祈願の後、各町内を太鼓を叩いて廻り潮井の水を各戸口にかけて家内安全息災を 祈願する伝統行事である。 |
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| 5/5 朝御饌祭 あさみけさい |
大神に報恩感謝の誠を捧げ五穀豊穣・子供の守護についての祈願が行われ、大祭の中の最も重要な 祭典で華麗なる「浦安の舞」が町内の小学生により奉奏される。 |
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| 5/5 御神幸祭 ごしんこうさい |
寛文12年以来の伝統を継承する18人の本宮神座により奉仕される祭典で「川祭」とも言われ水天宮 春大祭の特殊神時です。「御座船」に御神輿を安置して、新緑の筑後川を5色の吹流しをなびかせ、 洋々たる大河の流れに雅楽の音も雅やかに繰り広げられる「御神幸祭」は荘厳華麗なる一代絵巻物で ある。御遷座800年祭に崇敬者の浄財により「御座船」が42年ぶり浮かび復活した。 |
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| 5/6 朝御け饌祭 あさみけさい |
古来水徳の神として漁業・水産業者・航海関係者等の信仰が篤く、この祭典では特に水難除・大漁祈願 が行われ当日は水産関係者の参詣が多い。 |
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| 5/7 朝御け饌祭 あさみけさい |
特に、この祭典では妊婦の方の安産・無病息災を祈願し併せて国民の交通安全・無病息災の祈願が 行われます。 |
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| 夏大祭 | 8/5 筑後川花火大会 |
打ち上げ場所/水天宮対岸河川敷き 筑後川花火大会は、慶安2年(1650年)第2代久留米藩主・有馬頼永公により現在地に水天宮の社地・社殿が 寄進され、その落成祝賀にあたり、藩の砲術指南役・古川安太夫元純と言う武士が、硝石、硫黄、木炭を主材 とする花火を作り興を添えたと言い伝えられている。以後、水天宮奉納花火大会は寛文12年(1673年)に水天宮 神座18人衆に引き継がれ、それぞれ毎年、当番の座元衆が奉納することになり、競争意識もあって毎年新しい 花火を工夫して、盛んになっていった。しかし、第二次世界大戦で昭和17年に中断するが、昭和25年に久留米市 観光協会を中心に復活した。それから昭和40年に市の行政合理化で、事務局が水天宮に打ち上げ花火は、 尺玉が登場し豪快に夜空一面を覆います。仕掛け花火では、二重ナイアガラや、富士山などが演出され、 全国花火大会で、その華麗さは五指に入ります。 |
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| 真木和泉守保臣の銅像 | 境内にある真木神社 | 山梔窩(くちなしのや) |
| 真木和泉守保臣 | 真木和泉守保臣は(1813〜1864)は明治維新の中心的指導者である。水天宮神職の家に生まれ、早く父を失ったが良く母に 仕え、かねてから学問に励み武道、音楽にも長じ、藩校明善堂より表彰を受けた。彼は蘭方医工藤謙同と親しく、外国の事情にも 通じ、久留米の医学刷新に盡し、久留米藩医学館の生みの親と言われる。また早くから薩長連合を唱えたが時至らず、長州藩と 共に倒幕の軍を起こし禁門の変に敗れ、同士16人と天王山に登り、辞世のの和歌を残して自刃した。 |
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| 真木神社 | 真木和泉守保臣を祀ってる神社 | |
| 山梔窩 | 真木和泉守保臣は同士と共に久留米藩を改革しようとして却ってこの地を南に去る、現在の筑後市に謹慎を命ぜられた。 その翌年、庭の一隅に小さな家を建て山梔窩と名付け自炊の生活を送りつつ、付近の子弟を教育し後には久留米から参加する 者もあり、多くの人材を養成した。資料により、当時のものをこの地に模して建てたものである。 |
大善寺玉垂宮(=だいぜんじたまたれぐう)・・・久留米市大善寺町宮本1463-1
西鉄大牟田線、大善寺駅より徒歩5分
| 玉垂宮(たまたれぐう) | 祭神は武内宿称、八幡大神、住吉大神。神功皇后の三韓出兵に大功のあった藤大臣(高良大明神・玉垂命とも称す)が、この地の高村に下り | |
| ここで没した。塚崎に墓も作られまつられていたが、天武天皇のころ、672年三池長者師直が玉垂宮の古跡に法相宗の僧安泰をして祭神を祭らせ | ||
| そばに1字の精舎を開基して御廟院高法寺と号したのに始まると言う。後に天台宗となり、814年嵯峨天皇の勅令により、殿堂、楼門、回廊など新 | ||
| たに建立し、善美を尽くしたので大善寺と称した。盛時には宗徒45坊、社領3000町を有していたと伝えられている。 | ||
| 1869年(明治2)廃仏毀釈により現在に至る。 | ||
| 境内約1万5000u。本殿、幣殿、拝殿、楼門、惣門、回廊、御輿殿、石鳥居、社務所のほか、鐘楼、阿弥陀堂がある。 |
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| 玉垂宮本殿 | 楼門 | 御輿殿 |
| 鬼夜(おによ) | 1月7日夜行われる追儺の行事。本殿から鬼堂に渡り夕方本殿に還幸する鬼面尊神の昼間の行事が終わって、午後8時ごろ社前の霰川で潮井 | |
| 取りをして本殿に供える。やがて向こう鉢巻き、締め込み1本の氏子数百人が列を作って小松明を振りかざし、社前と霰川の間を大きな列を作って、 | ||
| 楼門から拝殿に詣でる。次いで午後9時ごろ、全域の灯りが一斉に消える。浄闇の中で大晦日に火打ち石で取った種火の神火が神殿で七日間守 | ||
| られ満願日までを鬼会といっている。神火より鬼火にうつされた火が神前の広場に前もってしつらえてある竹を束ねた長さ15mの大松明6本につけ | ||
| られる。炎は闇を焦がし、火花と爆竹音をはじかせる荘厳な火と裸の祭典となる。紅蓮の炎の前で「鉾取った」「面取った」「そら払いだ」の魔払いの | ||
| 神事が終わると、若者たちがカシ棒でささえあげた大松明は鐘太鼓の乱打の中、神殿を時計回りに数回まわる。その間、鬼堂にこもる鬼が、大勢 | ||
| の赫熊(しゃぐま)姿の棒を持つ子供に堂を叩かれて外に出、堂を7回半、人目にふれないように回る。午後11時ごろ、厄鐘が打たれ、大松明は消 | ||
| え、燃え残りをもつ1番大松明と、赫熊のこどもにかくまわれた鬼とが、霰川(あられがわ)で禊をして神殿に帰り祭りは終わる。 |
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| 大松明を作る材料群・・これで大松明をつくりあげる | 「鬼夜」当日の朝の様子・・・夜明け前の玉垂宮 | これも同じく当日の朝の様子です・・・楼門 |
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| 少し夜が明けて・・・神殿に向かいならべられた松明 | 大松明の先端部・・この先の枝葉の部分に点火する | ずらりと並んだ6本の大松明群 |
1月 7日 午後7時30分、いよいよ、鬼よの開始である。
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| 氏子達が出陣する前の太鼓 | 向こう鉢巻きとしめこみ一本の氏子達 | これからいよいよ出発 |
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| 小松明に火を取ってるところ | 木の枝を取ってるところ・・・ | 小松明をかざし霰川で潮井取りに・・・ |
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| いよいよ大松明に点火 | 6本の大松明に順番に点火されていく | 全ての大松明に火がつけられた |
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| 大松明がどんどん燃えていく | 炎が大きくなると一帯は真っ赤に染まる |
| 今回はカメラの撮影モードのセットが暗闇で見えなくてご覧の通り、全ての写真がピントがズレてしまいました。m(_
_)m それでも、雰囲気だけは充分に伝わると思います。来年まで待っててね(^_^;) 今から、来年の話をしたら、それこそ”鬼が笑う”ね! |