熊本県には多くの石橋があり、こんな事は普段は何とも思わない事だけど、何時か急にこの石橋の事が気になりだしたのである。
それは「通潤橋」を見てからである。今から凡そ30年ほど前である。

その数、約250基、全国のめがね橋の半数近くを占める。中でも緑川は九州山地に源を発し、有明海に注ぐ流路延長76キロの熊本県
を代表する河川である。流域には
霊台橋、通潤橋を筆頭に大小約80基の石橋があり、文字通り石橋の宝庫である。

     
肥後の石橋 ・・・・・・・・・・・・・ 日本全国に今残る石造のアーチ橋「眼鏡橋」は、約2000あると言われています。
    その実に9割以上が九州の河川に架かるものだそうです。
    その分布を見てみると、九州の真ん中、阿蘇山の外輪山を中心に四方へ広がっています。
    かつて、阿蘇山は大きな噴火を繰り返し、吐き出された火砕流が冷えて固まって岩石となりました。
    肥後の殿様として熊本城を築城した加藤清正も、この岩石を使って大掛かりな石垣を組んだのですね。
    又、八代地域には当時、数多くの優れた石工(いしく)が住みついていたと言われています。
    長崎で西洋渡来の新技術に接した石工によって、眼鏡橋の知恵や技術が子孫や村人に受け継がれた。
    そのうちの一つ・・・・、今もその雄大な姿を誇る、熊本県下益城郡砥用(ともち)町の「霊台橋」です。
    もう一つは熊本県上益城郡矢部町の「通潤橋」です。
霊台橋(れいだいきょう)

熊本県下益城郡砥用町
1847年に清水地区と対岸船津地区に架けたものです。
国の重要文化財に指定されています。

橋の下を流れるのは緑川、上流には緑川ダムがある。


 緑川本流の最大の難所船津峡に架けられた日本最大
の単一アーチ橋です。この橋は弘化4年(1847)に時惣庄屋
篠原善兵衛の下、地元峠原の大工棟梁の伴七、種山石工
の卯助兄弟、さらに近在の住人の総力を結集して完成した
ものです。

 橋の全長は約90m、アーチのスパンは28.36m。
これだけの大石橋がわずか6ケ月で作られている。

 

通潤橋(つうじゅんきょう)

熊本県上益城郡矢部町
 1854年に、宇一、丈八(橋本勘五郎)、甚平の3兄弟が
手がけたものです。

通潤橋は日本最大の水道橋です。
橋の長さ76メートル、高さ21メートル
中央部に水路掃除の為の放水口が左右にあります。

 豪快な放水で知られる通潤橋は、矢部郷の惣庄屋布田
保之助と宇一ら3兄弟、さらに多くの民衆の総力をあげて
完成されたものです。

通潤橋は、空を渡る水の石橋です。

 

石橋文化の基礎・・・・    その昔、阿蘇山の大噴火で膨大な量の火砕流が九州の全域を被い、特に、緑川水系一帯はこの噴出された
    火砕流熔結凝灰岩で形成された。この加工しやすい岩石が後の石橋文化を生む大きな要因となったのである。
     江戸後期の長崎奉行所につとめていた藤原林七は当時の下級武士だが、彼が種山石工の祖である
    と言われている。彼は長崎の眼鏡橋が落ちない不思議さに驚き、それを知る為に密かに外国人と接触し技術を
    学んでたそうです。これがバレて長崎を追われる身となる。
    林七は身を変えて逃げ回り、種山(現在の東陽村)にやっと落ち着いたのです。林七は研究し続け独特の
    「林七アーチ理論」を完成させる。その後息子達の手によって、次々に眼鏡橋が完成する。
    その後息子達の手によって、次々に眼鏡橋が完成する。

 

  石匠館(せきしょうかん)
熊本県八代郡東陽村にある、種山石工が築き上げた
石橋文化をイメージした「石の建築」です。

館内は、「種山石工」の歴史や、全国の石橋の資料
が多数展示され、また、当時の石工たちの石材運搬
の工夫を体験出来るコーナーもある。

 

   

 

「種山石工」・・・・・・    東陽村は江戸末期から大正初期までの間、全国に数多くの眼鏡橋を架けた石工たちの発祥の地です。
    「種山石工」と呼ばれ、その技術は日本一と言われていました。
    「石工の祖」と言われた藤原林七や、「土木技術の神業」と言われた「岩永三五郎」、また、種山石工を代表する
    名工橋本勘五郎は、矢部の通潤橋や東京の日本橋、皇居の旧二重橋など数多くの名橋を手がけました。
     

 

    石橋公園

「石工の里」東陽村のシンボルゾーンとなっている石橋
公園。村内に散在する22の石橋のひとつ「里見橋」を
移設し、その周囲に落ち着きのある日本庭園を配して
作られている。



アーチの石橋は木の支保工
東陽村のシンボルとも言える「石橋公園」・・・訪れた人達の憩いの場所でもある    

 

   
石匠館の隣にある、種山石工「橋本勘五郎の墓」   「石工の祖」と言われる藤原林七が作った鍛冶屋中橋(左側)と鍛冶屋上橋(右側)

つづく・・・

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